マンテン

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お昼にシュールさ満点の看板でおなじみの今帰仁のそば屋さんに行くと休みの雰囲気が。「しまった!休みか」
入り口に小さい張り紙が貼ってあり”移転しました”と。了解です、ではそちらに行ってみます。
その後思わぬ展開にビックリの日になりました。

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移転先は200mほどいった所の元民宿。なんでも2週間前に引っ越ししたばかりだそうです。

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手打ちそばの「まんてんそば(大)」とジューシー。お肉は三枚肉、軟骨ソーキ、本ソーキ。麺は手打ちならではのコシと縮れ感があり普通の沖縄そばよりかなり濃厚なスープとからみ相性満点です。

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食後バイクの風で「ふぃ~っ」っと、まんてんそばで汗ばんだ体を冷やしながら近くの港付近を流します。この辺りの集落は古い民家が集まっていて山の麓は洞窟のお墓がいっぱいあります。山も威圧感満点です。ちょっとこの山を登ってみたくなりました。

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登ってみると標識に源 為朝公上陸の碑?
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謎や伝説が多い武将ですがまさかここに来てたとは。wikiによると「伊豆大島へ流される。しかしそこでも暴れて国司に従わず、伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。切腹による自殺の、史上最初の例といわれる。」

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しかし沖縄、この運天の地にも、源為朝伝説が残っていました。
源為朝は、1156年の保元の乱に敗れ、伊豆大島に流刑となりました。その後、島を出た航海の途中、嵐に遭い今帰仁村の運天に漂着しました。「運を天に任せて流れ着いたところ」から、地名の由来「運天」が名付けられたと言われています。しばらくは、洞窟ティラガマで生活していました。その洞窟の人口には、為朝の手形らしき窪んだ岩があります。
運天で過ごした後、沖縄本島南部の大里に行き、大里按司の妹と結ばれ子供を授かります。しかし源為朝は、ひとりで故郷へ戻ってしまいます。残された妻子は、浦添の牧港テラブのガマで帰りを待ちわび、後にこの地がマチナト(現在は牧港・マキミナト)と名づけられたそうです。

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そしてすぐ近くにある大北墓(うーにしばか:または按司御墓/あじうはか)今帰仁城で第二監守を勤めた北山監守、一族が眠るお墓です。いきなりだったので強烈でした。

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そして百按司墓(むむじゃなばか)絵図はにてますが場所は大北墓より高台です。さらに強烈な感じがします。

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墓の名称である「按司」は沖縄のグスク(琉球語で城)を築いた有力な首長の呼称で、百按司墓は「数多くの按司の墓」の語義を持つ。

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今日は特別に変な日でした。
なぜかここに来てしまったんです。それが目と鼻の先だったんですね。(対岸が屋我地島)
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テーマ : 沖縄 - ジャンル : 地域情報

コメント

先祖代々伝えられて来たことを知りたいですか?

是非とも

ご教授願います。

No title

来週、北部にドライブ行く予定なんで
今帰仁にも寄ってみようと思いました
ありがとうございます(*^.^*)

No title

綺裸さん
コメント有り難う御座いました。
もう行かれましたか?僕の中ではもの凄くインパクトを受けたのでまたこっそり行ってみたいと思います。
まだ今帰仁には他にもあるので行ったらリポートします。

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