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PALAU ~comfort the spirit ~

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JAPAN-PALAU FRIENDSHIP BRIDGE
以前架かっていたKB橋(韓国製)は突如、大音響と共に崩落して、その後日本がODAで建て替えたものです。

先週(2012年12/17〜12/22)新婚旅行でパラオに行ってきました。

以前からパラオはどうしても行ってみたい国でした。

もちろんメインは新婚旅行なのでリゾートホテルに宿泊してビーチやきれいな海でマリンレジャーを楽しみましたが僕にとってはこれから紹介する"裏メニュー"「日本人としてパラオ慰霊」のこっちも重要でした。

パラオ到着の翌日は昼過ぎまでホテルのプライベートビーチで遊んでから午後、レンタカーを借りて島内ドライブ。ホテルの中のは物価が異常に高いので日用品や食糧をコロールのショッピングセンターへ行ったり観光スポットに寄ったりしました。

買い物も一通り終わり、まずは南洋神社に慰霊参拝したいと思います。

南洋神社はパラオ中心地のコロール島にあるのですが場所が調べてもはっきり分かりませんでした。それでもなんとなく位置だけは分かるので適当にメインストリートから脇道に入りました。しばらく走って「違うな」と引き返そうとしたら道路脇の駐車所で日中から酒を飲んでいる男達がいたので車を降り話しかけました。

男達に英語で日本の神社を探していると言うと手前のヒゲだらけの男がパラオ語でなにか言っているが全く分からない。鳥居に手をあわせるというゼスチャーを繰り返すとさらにデカイ声でなにか言ってるがやはりわからない。奥から違う男が出てきて、そこの脇道を登っていけばあると英語で教えてくれた。本当か?とりあえず「ありがとう」と言うと「2ドルくれないか?」と言ってきたので「教えてくれてありがとう」とおじぎをして車に乗り込んだ。

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教えてくれた道を登っていくとホテルらしき建物が出てきた。ホテルの人に聞こうと敷地の中に入り駐車所に車を停めると鳥肌が立った。駐車所の隣が神社だった。

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もともとは日本の統治下にあった時代に官幣大社として創建されたそうです。

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ありがとうございます。


翌日はいよいよペリリュー島だ。

ペリリュー島に行くにはツアーに参加するのが一番早い。パラオのガイドブックやホテルのオプショナルツアーにダイビング、シュノーケリングに並んで「ペリリュー島1日観光」というプランが必ず入っている。”観光”という響きが引っかかるがボート、昼飯、ガイド付きで一人120ドルである。スムーズに回れるならいいかと参加決定。

小さいボートに船長、ガイド、客8人(男女×4組)で満員。この小さいボートを飛ばしてコロールから南へ40kmにあるペリリュー島へ。

途中でスコールが降ってきてカッパを支給されるがあまり役に立っていない。波も荒くボートのノーズがパンパン跳ねるたびに体も跳ねる。みんな無言だ。

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約1時間半後、ボートはペリリュー島の北波止場ノースドックに接岸。

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島に上陸するなりまたスコールが降り出し、しばらく屋根があるところで足止め。

現地の人が来ていて日本人がペリリュー島に訪れてくるのを喜んでいるように見えた。現地の人がツアー参加者の一人に天皇陛下について話しているとその参加者は「I don't like 天皇」と言っていた。もう一組の自称カメラマンもガイドさんに「うちの先生が右寄りで〜」と愚痴っていた。

どうやら純粋に慰霊に来ているのは僕らだけであとは戦跡マニアと観光のようだ。

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雨がおさまるとマイクロバスに乗り込み島内の各ポイントをバスで案内してくれる。島にはトイレがほとんど無いのでまずトイレのあるゲストハウスにトイレ休憩をした。

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最近、22年振りの大型台風(風速70m)がペリリューを襲った。簡易な作りな民家の屋根はだいたい飛んでいた。

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ゲストハウスの食堂は水浸しになっていて台風被害の復旧はまだ終わっていない。

このペリリューツアーも昨日まで中止になっていて今日からツアー再開したらしい。しかしまだ倒木により道が寸断されたりして車が入れないところはジャングルのを歩く事になった。逆に僕はそんな体験もありがたいと思った。雨の中何本もの倒木を乗り越えたり枝で通りにくい所は後続の人のために枝を折りながら進んで目的地まで歩いた。

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千人壕。800人くらいの日本兵がこの洞窟に潜んでいた。入り口上部の黒いススは火炎放射の跡らしい。中に入ると南北96m、東西36mのトンネル式防空壕になっている。

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遺骨と不発弾以外はそのままの状態。

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酸素ボンベか。

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洞窟に入る前に全員で手をあわせる。

中は当然暗いので懐中電灯を渡される。少し腰をかがめないと頭が当たりそうなほど洞窟は狭くどこまで行けるのかというくらい通路は長い。交差するところもあり迷路のようでもある。通路にビール瓶や缶詰などがそのまま散乱していて生々しい。壕の奥に菩薩像がある部屋の前でガイドさんが足を止め、「ここでも多くの方が亡くなったので合掌しましょう」とても息苦しい。

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舩坂 弘氏や日本政府によって建立された戦没者慰霊碑(みたま)。ここでも台風で木が倒れている。参加者全員で線香による供養が行われた。

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糸満兵(現地で召集された沖縄出身の日本人居留民)に合掌。

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この先に日本軍帰還者34名の洞窟がある。敗戦後も約2年間隠れていました。食糧は米軍のスパムなどの缶詰でしのいだらしい。

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ペリリュー第二次世界大戦記念博物館。

旧日本軍の施設で砲撃の跡を残した博物館として利用している。建物の中はカビのような古い匂いがする。

日米それぞれの火器や写真などが無造作に展示してある。日米の鉄カブト(ヘルメット)の比較が興味深い。日本軍は重い鉄製で米軍はチタン製、強度はそれほど変わらないが機動性が違うらしい。こんな所にも日米の差がでてる。

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海軍司令部跡。建物はとても頑丈にできています。

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800キロ爆弾が落ち2階のフロアーが抜け落ちていました。

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トイレ。個室になっていたんだろうか。狭そうだ。

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台風でどこからか飛ばされてきた塔婆。

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2階テラスからの眺め。当時は滑走路が見えたそうです。

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三菱重工製95式軽戦車。車体は無惨な姿で野ざらしで錆びきっている。薄い装甲なので一瞬で貫通、大破したそうです。

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朽ちた三菱重工21型零式戦闘機。

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足が出たままとなっております。インナーチューブにあまり錆はありません。

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米軍慰霊碑。以前は米軍兵士の墓が並んでいたが現在墓はフィリピンに移転して慰霊碑のみ残る。

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昭和19年9月15日早朝、米軍第一海兵師団28,400名が「オレンジビーチ」よりペリリュー島上陸を開始しました。待ち構えていた日本軍の反撃で米兵がへばりつき海岸は血に染まった。

実際に立ってみるととても狭く、小さいビーチだった。なによりとても静かだった。

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米軍の水陸両用戦車:LVT-A1。海兵隊が最初に直面した障害がペリリューの珊瑚礁脈。上陸用舟艇では超えられないので米軍はこのLVTに乗り込み上陸した。大きさ、装甲の厚さは日本の軽戦車とは比べ物にならない。

ところでこのツアーのガイドさん、非常に好青年で歴史も詳しく日本軍、島民の気持もとても理解しているようだ。元自衛官で縁があってここに呼ばれガイドをして2年らしい。参加者の誰かが「毎日やってて飽きない?」という質問に「全然飽きないです。聖地ですから」とさわやかに笑っていた。


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ペリリュー神社の鎮霊社。一緒に回っている戦跡観光の人達が見終わってから誰もいなくなった鎮霊社に靖国の桜を置いて気持を込めて参拝できた。2度拍手を打った音で全員が僕に注目したらしい。天皇陛下が嫌いでもいいがこの島に来たのなら英霊には敬意を示して欲しい。自称カメラマンは引き返してきて手を合わせていた。

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「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」
ペリリュー神社境内にある米軍ニミッツ元帥の碑

「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したか を伝えられよ!」

最後に中川大佐自決の地に訪れるため大山(ブラッディノースリッジ)を登る。この辺から写真がない(撮る気分ではなかった)。

台風のため倒木した枝木を避けながらペリリュー戦で最後に日本軍が追いつめられた同じ道を今登っている。強烈なリアリティを感じる。軽いめまいや手の痺れを感じながら洞窟陣地と鎮魂碑に辿り着く。ここでも参加者全員による線香供養が行われた。

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行きと同じゲストハウスにトイレ休憩をした。子供達が近寄ってきたので写真を撮った。あとで気付いたのだが子供の一人がおじぎをしていた。日本人を見たらおじぎをするように教えられているのだろうか。

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僕の中でのペリリュー島慰霊は終わった。日本人としてここにこれて本当によかった。ガイドさんはこんなに一日中雨が降った事は2年間で一度も無かったそうです。最後に「涙です、これは涙です」と言った。

恥ずかしながら「ペリリューの戦い」を知ったのは実際にここに来る1年前くらいだった。アメリカ人の書いた戦記をたまたまamazonで買って読んだ。その後DVDで「パシフィック」も観た。実録に基づいているので後味が悪かったが心のどこかで日本から遠く離れ、記憶からも忘れ去られた島に行って線香の1本でもあげたい、という気持ちはありました。

ただ、パラオ。簡単に行ける所ではない。でも行きたい。
そんな思いが滲み出ていたのか友達が「南にいくんだろ?」と例の靖国の桜を2個くれた。

そして願いは叶った。

帰りの飛行機で新しい気持ちが出てきた。「沖縄に戻ったら今度は沖縄をやろう」


日本とパラオの関係やペリリューの戦についてご存知ない方は是非ご覧下さい。
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8.15

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有り難う御座います。

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沖縄全戦没者追悼式

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6月23日、沖縄ではこの日を「慰霊の日」といい1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。毎年糸満市にある平和祈念公園において、沖縄全戦没者追悼式が行われている。沖縄県民のひとりとして参加してきました。平和祈念公園は基地反対派と警察官が対立して物々しい雰囲気です。靖国でもいつも思うのですが、この日だけはどんな主張があろうとも静かに戦没者や英霊のために手を合わせるべきだと思います。

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会場内の前では金属探知機による厳重な検査が行われている。

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12:00の黙とうの後式典がたんたんと行われた。中でも沖縄県宜野湾市に住む普天間高校3年、名嘉司央里(しおり)さんが書いた詩。「変えていく」この詩の朗読が皆の心を打った。平和を願う気持ちは皆同じだ。

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式典は1時間くらいで終わり、平和祈念堂に向かう。この日入場料は無料でした。

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堂内には、沖縄が生んだ芸術家山田真山氏が 18年余の歳月をかけて原型を制作した沖縄平和祈念像が安置されています

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資料館もこの日と8月15日は入場料無料です。

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平和祈念公園を出て沖縄本島の最南端に位置する喜屋武岬に向かいます。案内板に従い農道を進みます。

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その先には、海が広がりその手前は険しい断崖絶壁です。沖縄戦の最期、この美しい海はアメリカの軍艦で埋め尽くされました。そして米軍に追いつめられた住民や兵士は、ここで行き場を失い、この断崖から次々と身を投げ、海は一面血に染まったといわれます。合掌。

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さて那覇に戻ろうかと思った矢先に雨が降り出してきました。雨足はだんだん強くなりしばらくは止みそうにありません。あわてて戻ることもないと思い屋根のある休憩所で横になって今日1日の出来事を思い返していたらいつの間にか眠ってしまいました。
プロフィール

ししゅう屋シンペー

Author:ししゅう屋シンペー
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